76年前の太平洋戦争中、沖縄から九州に疎開する学童らを乗せた船「対馬丸」が米軍の魚雷に沈められ1400人以上が犠牲となった対馬丸事件で、政府が学童遺族のうち父母及び祖父母を対象に支給していた特別支出金の最後の受給者が今月、亡くなった。受給者がいなくなったことから政府は予算措置を終える予定だが、遺族の一人は「戦後処理が終わるわけではない」と話す。
河野太郎沖縄・北方担当相が19日、閣議後の記者会見で明らかにした。
政府は亡くなった学童の父母及び祖父母に対し1977年、遺族年金に準じた特別支出金を創設。計約61億円を支給してきた。内閣府によると、当初436人いた受給者は高齢化とともに年々減り続け、3月1日に最後の受給者の女性が亡くなったという。
対馬丸は44年8月21日、集団疎開する学童ら約1800人を乗せ、長崎に向けて那覇港を出発。翌22日に鹿児島県のトカラ列島沖で米潜水艦の魚雷攻撃をうけて沈没し、約1500人が亡くなった。このうち亡くなった学童は、氏名が判明しているだけで784人に上る。
対馬丸事件は、当時は大本営発表の下で日本軍による箝口令(かんこうれい)も敷かれ、詳しい実態調査がなされず、正確な犠牲者数もいまだに不明だ。
姉2人を「対馬丸」で亡くし、…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル